これは、驚くべき失敗の物語だ。
1942年、フォードはリンカーンとマーキュリーの複数のモデルに、リクアマチックと呼ばれる新型のオートマチックトランスミッションを設定した。しかし、同社はすぐにこれを市場から撤回した。これは、驚くべき失敗の物語だ。
今では信じがたい話に聞こえるが、フォードは実際に1942年、マーキュリーとリンカーンのモデルにオートマチックトランスミッションをオプション設定していた。今日、このシステムについて知られていることはほとんどない。その主な理由は、同社が発売直後といってよいほどの短期間で市場から撤回し、注文されたリクアマチックの全ユニットが工場に送り返されたためだ。
リクアマチックはクラッチペダルを備えた従来型の3速マニュアルトランスミッションをベースとしていたが、いくつかの重要な部品が追加されていた。まず、クラッチ機構の前方にあるフライホイールに流体継手が取り付けられた。これはエンジン始動時、車両停止時、そして変速時に、クラッチ操作を必要とせずに作動した。トランスミッション右側には2本目のレバーが追加され、電気的に制御される負圧作動式サーボによって、2速と3速の間を変速できるようになっていた。
リクアマチックでは、ドライバーはクラッチペダルを使い、1速、2速、3速を手動で切り替えることができた。また、トランスミッションを3速の位置にしたまま、自動で作動させることもできた。流体継手が滑り、システムが2速で発進するため、自動モードでの加速は、控えめに言っても鈍かった。
このリンカーン・リクアマチックの図は、システムの仕組みをより詳しく示している。時速12マイルで、電気式レギュレーターとソレノイドによって制御され、エンジンの吸気マニホールド負圧で作動するサーボが、トランスミッションを2速から3速へ自動的に切り替えた。アクセルペダルで操作するキックダウンスイッチもあり、時速35マイル未満では3速から2速へシフトダウンできた。
上の図に示すように、リンカーン・リクアマチックのトランスミッションには従来型のオーバードライブも組み込まれていた。これはどの前進ギアでも時速23マイル以上で作動したが、ドライバーはダッシュボードのスイッチで無効にすることができた。1946年の修理マニュアルから採られたこの図は1941~1942年のリクアマチック・システムを示しているものの、189ドルという比較的高価なこのオプションが提供されたのは1942年だけだったようだ。両ユニットを供給したのは、ボルグワーナーの一部門であるデトロイト・ギアだった。
フォードV-8の一体型エンジンブロックは、流体継手を収めるために専用の鋳物を必要としたため、リクアマチックのトランスミッションは標準の3速マニュアルより約4インチ長かった。そのため、スペースを確保するにはラジエーターの位置を移す必要があった。1942年向けに生産された約23,000台のマーキュリーのうち、リクアマチック装着車はわずか744台だったとされる。リンカーンでこのシステムを搭載したのは、わずか8台だったとする記録もある。
撤回の正確な理由は今も不明だが、システムの性能の低さが一因だった可能性は高い。問題の内容が何であれ、それは深刻で、販売店には顧客の車のリクアマチック・ユニットをただちに従来型のマニュアルトランスミッションに交換するよう指示が出された。その後、リクアマチックのエンジンとトランスミッションは梱包され、工場へ送り返されることになっていた。
しかし、ミネソタ州のあるマーキュリー販売店は、所有するリクアマチック・ユニットをディアボーンへ返送しなかった。それは1971年に発見され、現在はアーリー・フォードV-8博物館に展示されている。上のカラー写真に写っているのがそのユニットだ。専門家は、現存する唯一のマーキュリー・リクアマチック・トランスミッションかもしれないと考えている。
フォード・モーター・カンパニーが自社製オートマチックトランスミッションの生産を再び始めるのは、1951年になってからだった。